「ジヴィエツ(Żywiec)」というビールのラベルを見つめると、そこには160年以上にわたる壮大な歴史が刻まれています。この醸造所を1856年に創設したのは、ヨーロッパの名門中の名門、ハプスブルク家のアルブレヒト・フリードリヒ大公でした。
ハプスブルク家とジヴィエツの出会い
ポーランド南中部の町、ジヴィエツの地がハプスブルク家の所有となったのは1838年のこと。アルブレヒト大公の父、カール・ルートヴィヒ大公(下の写真)がこの領地を買い取ったのが始まりでした。面白いことに、ジヴィエツのハプスブルク家の人々は、やがてポーランドを深く愛し、自らをポーランド人と名乗るようになりました。

この地に眠る真のポテンシャルを見抜いたのは、息子のアルブレヒトでした。彼はベスキディ山脈の豊かな自然と、そこから湧き出るクリスタルのように清らかな水に魅了され、この農業地帯を近代的な産業の中心地へと変えることを決意します。その象徴的なプロジェクトが、1856年の醸造所建設でした。彼の目的は単にビールを「製造」することではなく、オーストリア=ハンガリー帝国全土にその名が轟くような、地域の誇りとなるブランドを築くことだったのです。

地域と共に歩んだハプスブルク家の情熱
ジヴィエツのハプスブルク家がこの地にもたらしたのは、醸造所だけではありませんでした。
彼らは近代的な林業、畜産業、そして木材産業にも投資し、地域全体に雇用を生み出し、生活水準を劇的に向上させました。さらに、学校の設立や文化活動の支援など、教育や社会基盤の整備にも情熱を注ぎました。ジヴィエツの城は単なる貴族の邸宅ではなく、ヨーロッパの伝統と地域の文化が交差する、街の心臓部となったのです。

「自ら選んだポーランド人」としての誇り
しかし、何よりも人々を感動させたのは、彼らのポーランドに対する深い愛情でした。カール・シュテファン大公はポーランド語を完璧に操り、子供たちをポーランドの愛国心を持って育てました。
その絆は、単なる言葉以上に強固なものでした。1918年のポーランド独立時、彼らは迷わずポーランド国家への支持を表明しました。第二次世界大戦中、ナチスへの協力を拒み、そのために投獄され、財産を没収された家族もいました。彼らが示した「不屈の信頼(Zaufanie)」と誠実さは、今もなおジヴィエツの地で深く尊敬されています。
時代を超える真の貴族の想い
ハプスブルク家がこの地にもたらしたのは、単なる資本だけではありませんでした。それは、「最高級の品質へのこだわり」という揺るぎない土台です。1856年の創業以来、ジヴィエツは「貴族の品質」を守り続けてきました。ハプスブルク家がもたらした厳格な基準とヨーロッパの伝統は、今も私たちのビールの土台となっています。
160年以上の歴史の中で、技術は進化しましたが、職人たちのプライドと「信頼される味」へのこだわりは変わりません。

時代が変わっても変わらない味。
そこには、歴史という名の最高のスパイスが効いているのかもしれません。

